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 NHKで「ひきこもりサポートキャンペーン」というのをやっていました(すでに終了)が、出てくる人は専門家や親の会関係者ばかりです。そして、兎にも角にも「相談してくださ〜い」と呼びかけています。でも、相談して解決するものなら、みんなとっくに相談してるだろうし、それができないからこそみんな困っているわけです。

 むしろ、公共放送であるのなら、当事者に「相談しろ」と呼びかけるよりも、一般の人たちに理解と協力を呼びかける方が私は大事だと思います。

 特にNHKはCMがなく、番組間の空白部分で「受信料払え〜」などと宣伝していますが、そういうところで「職場や学校でいつも一人でいる人を見かけたら、声をかけてあげましょう。」みたいな呼びかけをやる方が、まだ社会へのアピールになりますよ。公共広告機構と同じだと思いますが、NHKだからこそ、できることだと思います。

「いじめ」や暴力のない環境で、すべての子どもが育つことのできる社会を。
「いじめ」や暴力のない環境で、すべての子どもが育つことのできる社会を。「あした、いいこと」の願いです。

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2009/01/01 更新

「ひきこもり」ってなあに?(タイトル)
その6 社会・行政のサポート

社会・行政のサポート

社会の役割は…

 「ひきこもり」問題を解決するためには、やはり本人の意欲と、ご家族や社会の理解が必要だと思います。強引ですが、解決するために必要な力全体を100%として、それぞれの割合を示すと、次のようになるかと思います。

本人の意欲
30%
家族の理解
20%
社会の理解・援助
50%

 こういった役割分担は、自動車のマニュアル車(以下では「MT車」と書きます。)を運転する時の変速に似ていると思います。MT車を発進させる時には、ギヤをローに入れます。そして、少し動き出したらセカンドに変え、さらにスピードが出たらサードやトップにギアを入れます。「ひきこもり」問題の場合は、

  •  ロー ・・・ 本人の意欲
  •  セカンド ・・・ 家族の理解・援助
  •  サード、トップ ・・・ 社会の理解と援助

ということになるでしょう。

 ローやセカンドだけでは、発進はできてもスピードがほとんど出ませんので、普通の道路を走るのは困難です。(急坂を走る場合など、例外もありますが・・・。) また、サードやトップで発進させようとすると、エンストしてしまいます。つまりは、それぞれのギアには役割があって、どれかが欠けると、車はまともに走ることができないわけです。

敷居線

 「ひきこもり」問題にしても、それは同じだと思います。いくら本人がその気になって、家族の理解がある程度あったとしても、それだけでは社会参加にはつながりません。(本人は気が楽になるのかもしれませんけど・・・。) また、社会が理解を深めても、本人が動こうとしないなら、なかなかうまくいかないと思います。

 何も「ひきこもり」問題に限らないのですが、こういった社会問題を解決しようとするなら、本人、家族、社会にそれぞれ果たすべき役割があると思います。専門家の方々は、家族がどうのこうのおっしゃるのですが、家族だけに負担がかかるような言い方は避けてもらいたいですね。それぞれが、どのような役割を果たすべきか、それをもっと論じていただきたいです。

れっつくっき〜んぐ!

じゃあ、社会がどんな援助ができるのか?

 以上で社会の役割が非常に大事だ、ということを述べましたが、じゃあ、社会に何ができるのか、それを考えると、思考が止まってしまうのが実情です。実際、当事者の方と出会うことが非常に困難ですので、こちらもよくわからない部分が多いのです。人の話をお聞きしても、その人の先入観や価値観というフィルターを通してしか見えませんし・・・。

 残念なことですが、今現在、外出できず、対人関係を拒んでいるような人には、おそらく何もできないと思います。私もそのあたり(当事者と出会えないこと)でいちばん苦しんでます。

 とりあえず、明らかに「ひきこもり」状態でない方には、

なぜ、自分は「ひきこもらない」のか?

ということをお考えいただきたいと思います。大げさかもしれませんが、みなさんは今まですごくがんばったのでしょう。でも、がんばっただけでなく、時には、いろんな人に励まされたり、いろんな人の助けがあって、人生を作ってきたのではないでしょうか? それを一つ一つ思い出してみてくれませんか?

 自分にはあって、「ひきこもり」と呼ばれる人にはないもの・・・、それを考えていけば、彼らにとって何が必要か、わかるかもしれません。

あゆちゃん

 もし、一般の方々にできることがあるとすれば、今後、「ひきこもり」と呼ばれる人を出さないためになにができるか、ということだと思います。でもそれは簡単です。

 もし、教室や職場でいつも一人でいる人や、口数の多くない人がいたら、積極的に声をかけていただきたいのです。自然に友達を作れない(話の輪に入りたくても入れない)人もいますし、一人でいることが好きな人でも話したい時もあります。また、思ったような反応がなくても、本人もうまく反応できないのかもしれません。そういう時は、本人は「せっかく話しかけてくれたのに・・・」と落ち込んでいたりするものです。

 そういう人を「暗い」などと揶揄することが多いみたいですが、「ひきこもり」問題の根源は先ほども述べましたように「社会から孤立している」ことです。今お願いしたことだけでは不十分かもしれませんが、集団やグループの中には、人付き合いが苦手な人が1人はいるものです。そういう人でも、話しかけられることで、「自分はここにいてもいいんだ。」と安心でき、心を開けることもあります。

かおりん

社会(行政)がすべきこと

 「ひきこもり」と呼ばれる人は、推計で80万人とも100万人とも言われていますが、実態は明らかになっていません。厚生労働省が保健所などを対象に相談件数などを調査した程度です。しかし、これも持ちこまれた相談が調査の対象になるので、持ちこまれなかった分についてはまったく把握できてません。

 以前、「尾木」とかいう人が、「ひきこもり」と呼ばれる人の援助に対して厚生労働省に要望したそうです。記憶をもとに書いてみると、

1. この問題に対応できる人(専門家)の育成。

2. こういった人を対象にした職業訓練などの実施。

だと思います。でも、1.については、「どのような形で養成するのか?」「具体的に、どんな仕事をするのか?」、また、「この人(専門家)たちの生活の面倒を誰が見るのか?」、といった疑問があります。国の財政は火の車です。公務員すらも人減らしの対象になっている時代にどうやって彼らの賃金を捻出するのか、それとも、ボランティアでやれ、というのか? 2.についても、職業訓練する場所は職業訓練校や専門学校などがあり、現行のシステムで十分です。この方、元教師だと聞いていますが、私から見ると、いかにも「教師的」な発想。

 相談できる人は、医者やカウンセラーをはじめとして、いろんな人にすでに相談しています。仮にそういう制度(施設)を作ったとして、相談できない・しない人が利用しなければ何の意味もありません。

敷居線

 一人一人事情も悩みの中身も異なる問題です。「ひきこもり」問題だけでなく、福祉の分野など、一人一人違った対応が必要な問題を扱うのは、行政はいちばん苦手なはずです。現に介護保険でも、制度の矛盾が指摘されてますし…。

 「ひきこもり」問題に限らないのですが、こういった悩みを抱えた人に対し、「専門家」やボランティアをあてがおうとする行政の態度にも私は疑問を感じています。当事者の方々と話していて思うことですが、知らない人に相談することは、とてつもなく勇気のいることです。また、専門家などが相手だと、必然的に上下関係が確定してしまいます。

 いちばんいいのは、当事者の近所に住む人が、自然に手を差し伸べるような形だと思います。顔見知りなら、抵抗も少ないだろうし、何か申し入れがあった時にも、深く考えずに受け入れることもできるでしょうし・・・。

 だから、「ひきこもりを治す」というよりは、社会全体がこのことに関心を持ち、彼らに歩み寄っていくような姿勢も必要だと私は考えています。そうすることで、この人たちと社会との溝が多少なりとも少なくなればいいな〜、と思います。