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ノート」(07/02/19)

「不登校」から得たもの(07/01/21)


 


ノート

ある日、何気なく開けたノート

そこに書かれていたのは、殴り書きのような文字

一番最初のページに書かれていた『幸せ』という文字

涙で滲み、読めなくなっている

真ん中のページに書かれていた『辛い』という文字

鉛筆で濃く、書かれている

書いたのは、まぎれもない自分なのに

何故か無性に悲しくなって

ノートを抱き締め、声を上げて泣いた


 


「不登校」から得たもの

2005年、4月。
私の高校生活が始まった。
初めて袖を通した制服、初めて会う子ばかり、
緊張と不安の入り交じった気持ちからのスタートだった。
クラスは皆合わせて14人しかいない、
とても小さなクラス。だからこそ、団結力は凄まじいものだった。
少ないから、と舐められるのを嫌っていたから。
少なくても大丈夫、少ないから得がある、そう思えるクラスだった。
仲の良い友達も出来、私を含めた5人の仲良しグループが出来た。
そして5人一緒に同じ部活へ入部した。
部活の練習はとても易しいとは言えなかったけど、
毎日が楽しく、充実していた。
あの頃の私は、心の底から笑えていたと思う。

高校1年生の夏休み明け、私達5人の中で異変が起きた。
まず、グループの皆から私だけがハブられる様になり、
1人でいる事が多くなった。
話し掛けに行っても、私から遠ざかっていく。
最初の頃はそんなに気にしていなかった。
少しの間我慢していれば、おさまるだろうと思って
特に何も思っていなかった。
しかし、それはおさまるどころか逆にエスカレートしだした。
後ろ指を指されながら笑われ、あからさまなシカト、
クラス全員に聞こえる様な声での悪口、中傷。
それは嫌がらせと呼べるにはほど遠く、
ある種のいじめになっていたんだと思う。
わざと私に近い場所で騒いだり、
先輩にコソコソと私の悪口や有ること無いこと言いふらしたり、
すれ違いざまに『死ね』と言われていた。

耐えかねた私は、担任に相談しようと試みた。
なのに、
『やっている皆ばかりが悪い訳じゃない、お前にも何か有るはずだ』
と、まともに取り合ってくれなかった。

そしてそれは高校2年になっても執拗に続いた。
机の中にゴミを入れられたり、
机の上に酷いラクガキがされてたりもした。
その時は顔色変えずにゴミを捨て、ラクガキも全て消した。
そして学校のトイレで休み時間中泣き続けた。
担任に言っても良くならない。
同じクラスの違うグループの子に相談しようともした。
けれど、仲の良かったグループの子の耳に入る事を恐れて、
相談も出来なかった。
家に帰り、母親に少しだが愚痴を零したりもした。
なんの対応もしてくれない担任、学校の先生を信じられなくなっていた。

高校2年、5月。
私は学校へ行き渋るようになった。
制服を着ても、靴が履けない、鞄を持っているのに、外へ出られない。
学校の事を思うと、身体がガタガタ震え出す。
そして、夏休み前には完全に学校へ行けなくなっていた。
私が不登校になった瞬間だった。

学校へ行かなくなってからとうもの、家の中が荒んできていた。
祖父母は毎日のように言い合いをし、
両親の顔からも笑顔が減り、空気が淀んでいるのが分かった。
それは私が作り出している空気で、言い様のない悲しさがあった。
自分の部屋へ閉じこもり、居間に顔を見せたりしたくなかった。
外にも出れず、近所の目を気にし、一時対人恐怖にもなった。
見かねた父親が私を連れ、精神科へ連れていった。
鬱病ではない、と診断されたが、適応障害なのかもね、と言われた。
よくは分からないが、周囲に合わせようとし、
逆に疲れてしまう事だと医師は言っていた。
父親が憎かった訳でもなく、医師が鬱陶しかった訳でもない。
だけど、病気でもないのに病院へ連れて行かれたのは、我慢ならなかった。

学校へ行かなくなってから、3ヶ月が過ぎた時、
父親が通信制高校のパンフレットを持って帰ってきた。
その学校には、
いじめや何らかの理由で学校へ行けなくなった子が居るのだという。

『・・・そこに行きたい。このままの状態から抜け出したい』

不登校と言う悪循環から抜け出したい、そう思った。

両親と共に学校見学に行き、体験入学、転入手続きを経て、
私はその学校の生徒になった。

いじめや不登校は決して良いことじゃない。
でも、悪いコトばっかりじゃない、私達は絶対に1人じゃないから。
支えてくれる人が絶対居る。
だから、死んじゃ駄目だよ。死んだら、何も出来なくなる。
読みかけの本、欲しいと思う服、美味しいものだって食べたい。
だから、自殺なんては思っちゃ駄目。
私自身、死にたいと思う時期はあった。
けど、死ぬな、と言ってくれたのは、他の誰でもない両親だった。
何時か絶対光が見えるから、
つまづいたり悩んだりしながらで良いんだから、歩いていこうね。

否定され、馬鹿にされ、捨てられた。
それは、いじめが残していった傷跡。
その傷は今でも痛み、一生治る事は無いんだと思う。
けれど、その傷のおかげで、人を傷つける事の悲しさを知った。
だから、今、言いたい。
人を傷つける悲しさを知ってる皆、
どうか、どうか、
誰かを傷つけるような事はしないで。


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(メールはねたろーに一旦届き、転送します。)

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