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ねたろーの「こころのはなし」

性格や心の動きなど、さまざまな「心の話」をねたろー流に解釈してお話しています。

「非秩序」が日本を滅ぼす

 「非秩序」とは?

「非秩序」で検索すると、色んな分野の色んなサイトが引っかかると思いますが、ここでいう「非秩序」とは、単に「秩序がない」、つまり、社会常識(通念)で「良くない」とされていることがまかり通ってしまうような集団や組織を言います。そして、そういう集団や組織に長時間置かれた人が、どのようになってしまうかを、ここで述べて行きます。

2人以上人がいる「集団」では、多くの場合、上下関係ができ、「上の立場の者」の考え方などが、その場で通ることが多くなるはずです。

が、もし、「上の立場の者」の考え方などが、社会常識(通念)で「良くない」とされていることであればどうでしょう? 「下の立場の者」から「あなたは間違っている」と指摘されても、聞いている振りをするだけで改めようとしなかったり、「俺に逆らうのか」と突っぱねたり、制裁があったり、暴力で服従させるようになれば問題です。そのような場から、「下の立場の者」が逃げ出すことができたらいいんですが、生活がかかっていたり(職場の場合)、逃げれば各方から非難される(学校の場合)など、逃げられないことも多々あります。

このような状態に長く置かれると、おそらくは、「物が言えない状態」になっていくでしょう。

 「物が言えない状態」から「物が言えない人」へ

ここからが私の仮説なんですが、このような「物を言えない」状態に長く置かれると、それがその人の行動パターンになって行くわけです。つまり「自己主張できなくなる」んです。育ち盛りの0〜10代の若者であれば、この傾向はさらに強くなるでしょう。そしてそのことが、その人の人生において、様々な問題をもたらすことになります。

例えば、新卒で就職する際、採用する側が学生たちに求めているのは「自分の考えをしっかりと人に伝えることができる」ということのようです。つまり、「自己主張できる人」を求めているわけです。でも、彼らにはそれが弱いかできないんです。結果として職を得ることが難しくなり、「ニート」などと呼ばれる状態になる人が多くなるでしょう。

また、これは私の思い込みだけかもしれませんが、「自己主張できない」ことは、「求愛できない」ことにつながります。結果として、結婚できない人が多くなり、「少子化」を加速させることになるでしょう。

 「心の病」の元凶も・・・

「自己主張できない」ではなく、うつ病など心の病になってしまう人もたくさんいるでしょう。もっとも「心の病」は、すべて「非秩序」の状態に置かれたことが原因だと私は確信しています。

しかし、「心の病」で病院に行って診察を受けると、医者やカウンセラーなどはその人に原因を求め、行動療法やカウンセリングを施すなどして、その人に「努力」を要求します。彼らは被害者なんですが、「被害者」として扱われないわけです。

また、ドメスティックバイオレンスなどで「共依存」という言葉がありますが、これも「非秩序」で説明が付くと思います。

彼らにとって大切なことは、「正しい秩序」の中で日々を過ごすことであり、「秩序」を保つよう、本来はその場にいる人全員が努力すべき問題です。これが先述したような人を出さないための唯一の方法だと思います。

 まとめ

その後、「スタンフォード監獄実験」という実験を知りました。被験者を囚人と看守に分け、生活をさせました。すると、看守は「支配者」として、囚人を痛めつけるようになり、禁止されていた暴力を振るうようになったということです。

結論は、「強い権力を与えられた人間とそうでない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。」、そして、「元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのような状態に陥ってしまう。 」ということです。(ウィキペディアから引用)

本実験についてはウィキペディアで詳しく述べてますので、こちらをご覧ください。

ここで書いたことは、「スタンフォード監獄実験」での「囚人」(下の立場の者)の状態に長く置かれたらどうなるか、という仮説です。こんな状態が長く続いたら、と思うと、ぞっとしますね。

いちばん大事なことは、このような状態は学校でも職場でも家庭でも、どこでも起こりうることを誰もが認識し、このような状態が起こらないよう、気をつけることではないでしょうか?

2009/12/2 公開

「いじめ」や暴力のない環境で、すべての子どもが育つことのできる社会を。
「いじめ」や暴力のない環境で、すべての子どもが育つことのできる社会を。「あした、いいこと」の願いです。