このページでは、「不登校」「高校中退」について「ねたろー流」の説明をしています。
「あした、いいこと」から感じること
このページは、主に学校の教師、スクールカウンセラーに読んでもらいたいです。
日ごろ感じていること
「あした、いいことあるかな…」は1998年に開設し、当時は「不登校」状態で中学校を卒業した子や高校を辞めた子向けに進路などの情報を提供することをメインとしたサイトでした。今もそれに変わりありませんが、いろんなタイプの子から相談などいただき、今では方向性はかなり変わっていると思います。少なくても、開設当初は学校否定的な立場で、「学校行かなくても○○に行けばいい」というノリでやっていましたが、今は「行きたい子は学校に行けるように」と言う方針です。
そのように方向が変わっていったのは、「学校に行く」ことを望んでいる子が多いことです。また、「当人に落ち度があって行けない」(教室内で孤立したり、周りの不用意な発言に傷ついて行けなくなっていることが多い。)わけではないので、当人にアドバイスできることはあまりありません。だから、「当人よりも周囲にいる人に協力を求めながら、当人ができるだけ違和感なく学校に戻って行ける」という形を作っていきたくて、以下のような答えに達しました。
人を孤立させないで
この問題でいちばんかわいそうなことは、「学校に行か(け)ない」状態が長く続くことで、社会的に孤立していく(家族以外の他人との関わりがなくなっていく。以下同じ。)ことです。そうなっても、自分から他との関わりを求めて行ける人はいいのですが、現実にはそうでない人が多いと思います。
これは「学校に行か(け)ない」と直接関係ありませんが、10代の子どもが大きな犯罪を起こすことが多いです。でも、1人で起こした事件の加害者については、たいていが社会的に孤立していると思います。そういった意味からも、孤立してしまうことを防ぐ対策が必要でしょう。
人を孤立させないために
学校も集団(コミュニティー)であり、それを構成する人(つまり、子どもや教師)がお互い支えあっている状態が理想的な姿だと思います。このような状態を作り出すことで、「いじめ」「不登校」はかなり減らせると考えています。
しかしながら、10代の人が起こした犯罪などを見る限り、結果を考えずに一時の感情だけで行動に移しているものがほとんどです。犯罪まで行かなくても、後先を考えずに行動する人は、子どもに限らずたくさんいます。そのような行動の結果、他人の心や体を傷つけ、結果として学校に行けなくなっている子どもが多いのではないでしょうか? 「いじめ」なども同じでしょう。このことは、先ほど述べた「理想的な姿」とは全く逆です。
私は、こういった状況を大変憂慮しており、「学校に行けない子を本気で減らそうとするなら、こういった部分に踏み込む他はない」と考えています。そういう方向から、2006年の4月、小冊子を100部作成し、私が現在住んでいる兵庫県尼崎市とその周辺の中学校・高校に送りつけました。おおまかな内容は次のとおりです。
自分のやったことを後で振り返ること。それが「良くない」場合は、どうすれば良かったかを考える。
相手の立場に立って物事を考える。発する言葉を選ぶ。
このようなことを考える授業を週に1時間設定し、各クラスの担任が受け持つ。教師も、上記のことには参加する。
特に高校に対してですが、生徒一人一人が「生涯の友」を得られるよう、学校側もアイデアを出してほしい。
こういった事について、学校側は「家庭や地域の皆様のご協力が・・・」と言うのでしょうけど、そういうのには頼っていられない時代です。それ以前に、学校の教師たちにとって、こういうことは「当たり前にできること」で、普段は意識して考えないのでしょう。それでも、子どもが生活時間の多くを過ごすのは学校なのだから、こういったことは学校側が責任を持って推し進めるべきではないでしょうか?
これらを積み重ねることで、おそらく「いじめ」などは減ると思いますし、結果として「行けなくなる子」も減ると思います。「不登校」にも限ったことではありません。子どもが起こす犯罪についても、少し立ち止まって考えることができれば、ほとんどの事件は防げると考えています。
「命を大切にする教育」とかいって、絶滅の恐れがある生物を取り上げたり、「平和教育」とかいって、広島や長崎、あるいは沖縄へ修学旅行に行く学校も多いですが、こういう話は子どもにとって、本来は遠い話です。もっと身近な(教室で起こった)問題を取り上げ、子どもたちに考えさせる機会も必要かと思います。こういうことを取り上げるのは、学校側も勇気がいるのでしょうけど、そこは逃げないでほしいです。
「自殺対策基本法」という法律ができました。この法律は「『自殺』を当人(個人)だけの問題でなく、社会全体の問題として考えよう」という趣旨の法律ですが、この法律の条文中の「自殺」を「不登校」に置き換えても、十分納得のいく文章となります。つまりは、「『不登校』の問題も、当人だけの問題にせずに、学校や社会全体の問題として、解決が図られなければならない」ということです。そういう方向での議論も待たれるところですし、その議論には私も参加したいと思っています。